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定年後再雇用における賃金減についての裁判例

2026年4月2日

弁護士 松田直弘

九州の鉄道会社を定年退職した後再雇用された労働者が現職労働者との賃金格差について違法を主張した裁判例(福岡地裁判決令和6年11月8日判決)を紹介します。

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前提 パート有期法8条の定め

パートタイム・有期雇用労働者の基本給,賞与その他の待遇のそれぞれについて,その待遇に対応する通常の労働者の待遇との間において,パートタイム・有期雇用労働者と通常の労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。),当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち,当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して,不合理と認められる相違を設けてはならない

事案の概要

本件は、九州地方で旅客鉄道事業等を営む被告(会社)を定年退職した後、有期労働契約を締結して再雇用された「嘱託再雇用社員」である原告らが、定年退職前の「正社員」との間に基本給、期末手当、扶養手当、および住宅援助金などの待遇に差があることがパート有期法8条に違反する不合理なものであり、不法行為であるとして、定年退職前の賃金との差額相当額などの損害賠償を求めた事件です。

争点

正社員と嘱託再雇用社員との間における以下の待遇の相違が、不合理なものであるか否か

1.職務の内容および配置の変更の範囲

2.考慮すべき「その他の事情」

3.基本給(および基本給を補完する性質を持つ期末手当B)の額の相違

4.期末手当Aの額の相違

5.扶養手当および住宅援助金を嘱託再雇用社員に支給しないこと

1.「職務の内容及び配置の変更の範囲」について

「職務の内容」についての判断

裁判所は、原告ら(嘱託再雇用社員)と正社員の職務内容には、大きな相違があったとは認められないと判断しました。

 

業務と責任:

 原告らが従事する運転士、車掌、車両保守職としての日常的な業務内容や、乗客の安全に対する責任の程度は、定年退職前後で大きな変化はないと認定されました。

 「配置の変更の範囲」についての判断

職務内容とは対照的に、配置の変更の範囲については、「明らかな相違が存在した」と認められました。

 

転勤・出向の運用:

 正社員は、本人の同意に関わらず転居を伴う転勤や出向を命じられることがあります。一方、嘱託再雇用社員については、就業規則の定めに拘わらず、実態として「本人の個別的同意がない限り、転居を伴う転勤等を命じない」という運用が継続されていました。実際、対象期間中に同意なく転勤を命じられた嘱託再雇用社員は存在しませんでした。

 

昇進・昇格:

 嘱託再雇用社員は、正社員とは異なり、昇給・昇格による職務内容や責任の程度の変更が予定されていませんでした

以上の通り、「日々の仕事内容はほぼ同じだが、転勤の有無やキャリア形成(昇進)の面で大きな差がある」というのが、争点1に対する裁判所の主要な判断です。

2.「考慮すべき「その他の事情」」について

裁判所は以下の4つのポイントを挙げ、これらはいずれも正社員との待遇の相違が「不合理である」ことを否定する(=合理性を支持する)方向に働く事情であると判断しました。

1.定年退職者であることと老齢厚生年金の受給予定

 

裁判所は、正社員の賃金体系が定年までの長期雇用を前提としているのに対し、再雇用後の賃金体系はそれを前提としていないという性質の違いを指摘しました。その上で、原告らが正社員として長期雇用を前提とする賃金を受け終えた後に再雇用されたこと、および将来的に老齢厚生年金の受給が予定されていることは、待遇の相違を正当化する事情になると判断しました。

2.多額の退職手当の受領

 

原告らが定年退職時に、約1,642万円〜1,920万円という相当額の退職手当を受領していることが重視されました。退職手当には「賃金の後払い」や「功労報償」だけでなく、「定年退職後の生活保障」という性質も含まれているため、これを受け取っていることは、正社員との賃金差を容認する一つの要因になるとされました。

3.労働組合との真摯な交渉と合意

 

嘱託再雇用社員の待遇(基本給や手当の不支給など)は、被告と3つの労働組合との間の団体交渉を経て決定されたものです。最終的に、組合員資格のある従業員の9割超が加入する2つの組合(F労組、H労)との間で合意に至っている事実は、「労使自治」の尊重という観点から、待遇の相違の不合理性を否定する重要な事情であると認められました。

4.高年齢雇用継続基本給付金の受給

 

原告らが雇用保険法に基づく「高年齢雇用継続基本給付金」を受給できることも考慮されました。この給付金は、定年後の賃金減額の影響を緩和し、高齢者の生活保障を図る目的の制度であるため、この公的給付による補完を前提に賃金条件を決定することは不当ではないと判断されました。

3.基本給(および基本給を補完する性質を持つ期末手当B)の額の相違について

原則として待遇の比較は賃金項目ごとに行われます。そして、期末手当Bは老齢厚生年金の受給開始年齢の引き上げに伴う減収を補填する目的で導入されたものであることから、基本給を補完するものであり、基本給と期末手当Bは合計して判断すべきとしました。

賃金水準の維持状況

原告らの基本給および期末手当B(1か月当たり)の合計額を検討した結果、定年退職前の基本給と比較して、約65%〜74%(平均約70%前後)の水準が維持されていることが認められました。

性質および支給目的の相違

  • 正社員の基本給: 単なる労務対価だけでなく、長期就労を誘引するための勤続報償的・年功的な性質や、労働意欲向上のための職務給的性質が含まれている。
  • 嘱託再雇用社員の基本給・期末手当B: 定年退職時の等級に応じた固定額であり、昇給や長期就労、転勤等が予定されていない。そのため、正社員と比較して勤続報償的・年功的な性質の割合が低いと考えられる。

「格差は不合理ではない」との結論

以下の事情を総合的に考慮し、基本給(これを補完する期末手当B含む)の格差は不合理ではないと結論付けました。

 

配置の変更範囲の相違:

 正社員と異なり、再雇用社員は昇進・昇格がなく、原則として本人の同意がない限り転勤も命じられないという明確な相違がある。

 

負担軽減措置:

 被告(会社)は「高齢者行路」の設定など、再雇用社員の職務負担を軽減する施策を相応に実施している。

 

労使自治の尊重:

 この賃金体系は、従業員の9割超が加入する2つの労働組合との真摯な団体交渉を経て合意に至ったものであり、その結果は尊重されるべきである。

 

その他の補完:

 再雇用社員は多額の退職金を受領済みであり、さらに老齢厚生年金や高年齢雇用継続基本給付金による生活保障の補完が予定されている,。

4.期末手当Aの額の相違について

正社員の期末手当と嘱託再雇用社員の期末手当Aの共通点

性質:

 いずれも業務への貢献度の反映や労働意欲の向上などを目的とする「功労報償的性質」を有する。

 

算定式:

 両者は「基準額 ×(1 - 期間率 ± 成績率)- ライフプラン手当基礎額」という同様の計算式で算定されている。

 

相違点

算定の基礎となる「基準額」において、嘱託再雇用社員(雇用期間3年以上)は正社員の4分の3、3年未満の者は2分の1とされており、支給月数に相当程度の相違がある。

支給額の格差は許容範囲内であるとの結論

以下の事情を総合的に考慮し、支給額の格差は許容範囲内であると結論付けました。

 

労働組合との交渉と合意:

 期末手当Aの支給月数(およびコロナ禍での一時金加算)は、被告と各労働組合との団体交渉を経て決定されたものです。特に、組合員資格のある従業員の9割超が加入する2つの組合(F労組、H労)との間で合意に至っている事実は、「労使自治」の尊重という観点から、格差の不合理性を否定する重要な事情とされました。

 

コロナ禍における激変緩和措置:

 令和2年12月および令和3年6月の支給時には、コロナ禍での生活保障を目的として一時金が加算されました。その結果、これらの時期については正社員と嘱託再雇用社員の実質的な支給月数の相違が解消されていたことも考慮されました。

 

職務内容と配置変更の範囲の相違:

嘱託再雇用社員には職務負担の軽減措置が相応に講じられていること、および、正社員とは異なり原則として転居を伴う転勤や昇進・昇格が予定されていないという「配置の変更の範囲」における明確な相違があること。

5.扶養手当および住宅援助金を嘱託再雇用社員に支給しないこと

裁判所は、これらの手当を嘱託再雇用社員に支給しないことは、不合理な相違とは認められないと判断しました。

1.扶養手当についての判断

裁判所は、扶養手当の性質を「従業員の福利厚生を目的として、職務内容とは無関係に、ライフイベントに応じた生活費の一部を援助するもの」と定義しました。不合理ではないとされた主な理由は以下の通りです。

 

生活保障の必要性の違い:

 正社員は長期雇用を前提とした幅広い世代で構成され、特に若年層は将来のライフイベントによる支出増の可能性がある一方、嘱託再雇用社員は正社員として長年賃金を得てきた上、相当額の退職手当(約1,600万円〜1,900万円)を受領しており、一定の資産形成を遂げていると考えられます。

 

公的給付による補完:

 嘱託再雇用社員には、老齢厚生年金や高年齢雇用継続基本給付金などの公的給付による生活保障の補完が予定されています。

 

労使自治の尊重:

 支給対象を正社員に限定することは、多数の従業員が加入する労働組合との真摯な交渉と合意に基づいたものであり、経営判断として許容範囲内であるとされました。

2.住宅援助金についての判断

住宅援助金についても、福利厚生や生活保障を目的とする制度であり、経営判断や労使自治に委ねられる部分が大きいとされました。

 

転勤の可能性と生活拠点の形成:

 正社員は転居を伴う転勤の可能性があり、追加的な住居費負担が想定されるほか、長期就労のための生活拠点(持ち家)取得の促進が期待されています。対して嘱託再雇用社員は、原則として転居を伴う転勤が想定されていません

 

資産形成の状況: 

扶養手当と同様に、定年退職時に多額の退職手当を受領していることから、一定の資産形成がなされていることが考慮されました。

 

労使合意:

 労働組合との交渉において、正社員のみを支給対象とすることに合意している点も、合理性を支持する理由となりました。

コメント

本判決は,長澤運輸事件最高裁判決(最高裁判決平成30.3.1)において示された定年退職後の有期雇用労働者と定年前の無期雇用労働者との労働条件の相違に係る判断の枠組みを用いて,定年後嘱託再雇用社員と定年前の正社員の「職務の内容」及び「配置の変更の範囲」を比較し,両者に支給される各給与の性質・目的を個別に検討した上で,定年後嘱託再雇用社員の制度設計に係る労使交渉の経緯及び結果,定年時における相当額の退職金の支給,嘱託再雇用後の高年齢雇用継続基本給付金の支給等を「その他の事情」として考慮することにより,定年後嘱託再雇用社員と正社員との各給与の相違の不合理性を否定する判断を行ったものになります。