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過重労働と上司によるパワーハラスメントを原因にうつ病を発症し自殺した事案

2026年8月10日

弁護士 松田直弘

過重労働と上司によるパワーハラスメントを原因にうつ病を発症し自殺した事案に関して、被告会社が適切な労務管理をり、上司が人格を否定する内容の不適切なメールを送信したことによる心理的負荷を認め、会社と上司の不法行為責任を肯定された事例(福岡地裁令和7年3月19日)を紹介します。

動画による解説はこちらから

事案の概要

本件は、船舶管理会社(被告会社)の従業員であった亡Fが、過重な労働を強いられ、上司からのパワーハラスメントを受けた結果、精神障害(重症うつ病エピソード)を発症し、平成31年4月に自殺した事件です。

 

Fの父母である原告らが、被告会社、代表取締役である被告C、直属の上司であった被告D及び被告Eに対し、不法行為責任、使用者責任、安全配慮義務違反、あるいは会社法429条1項(被告Cのみ)に基づき、逸失利益や死亡慰謝料などの損害賠償を求めて提訴しました。

争点

主な争点は以下の4点です。

  • 争点1:Fの自殺(及びその原因となった精神障害の発症)が、被告会社の業務への従事によって生じたものであるか否か(業務起因性)
  • 争点2被告らの責任原因の有無(安全配慮義務違反の有無、不法行為の成否、使用者責任の成否、会社法429条1項責任の成否)。
  • 争点3:損害の有無及び額。
  • 争点4過失相殺又は素因減額の類推適用の有無

結論

裁判所は、被告会社及び上司の被告Dの不法行為責任を認め、原告らの請求を一部認容しました。

被告会社と被告Dは連帯して、原告Aに対し約2698万円、原告Bに対し約3913万円(及び遅延損害金)を支払うよう命じられました。

一方で、代表取締役である被告Cと、もう一人の上司である被告Eに対する請求はいずれも棄却されました。

自殺及びその原因となった精神障害の発症が、被告会社の業務への従事によって生じたものであるか(業務起因性)(争点1)

裁判所は以下の理由から業務起因性を肯定しました。

1.業務の過重性(質的・量的な心理的負荷)

裁判所は、亡Fの業務内容が質的にも量的にも相当程度の心理的負荷を生じさせるものであったと認定しました。

  • スキルと業務のミスマッチ

Fは監督補佐として知識や経験が不足していると周囲から評価されていた上、不得意な英語を用いて不慣れな仕様書や見積比較表の作成業務を行う必要がありました。Fは作業に苦慮し、期限に間に合わない状態が続いていました。

 

  • 勤務時間外の拘束:

帰宅後や休日であっても、業務上のメールに対応することが求められ、昼夜を問わず船員からの緊急電話に対応できるよう携帯電話の所持を指導されるなど、常に一定の精神的緊張を強いられていました。

 

  • 実態と乖離した労働時間と残業の増加:

被告側は自己申告の勤務表に基づき「死亡前6か月の残業は4時間のみ」と主張しました。しかし裁判所はPCのログ等から、実際の残業時間は死亡前1か月で少なくとも43時間29分に上っており、前月(20時間39分)から大幅に増加していたと認定しました。

2.上司(被告D)による不適切な指導(パワーハラスメント)

上記のように業務負担がピークに達していた死亡前約1か月の期間に、上司である被告Dから不適切なメールが複数回送信されていました。

  • 具体的には、ファイルのコメントやメール本文に「手抜きにも程があります」「翻訳ソフトに頼るからこうなるでしょ」「ナマケモノの態度を改めなければあなたを必要とする理由が見当たりません。猛省して下さい」といった記載がありました。

 

  • 裁判所は、これらの表現を用いることについて業務上の必要性はなく、Fを叱責し人格を貶める内容であって、社会的相当性を欠く不適切なものであると厳しく指摘しました。

 

  • ただでさえ過重な業務で追い詰められていた時期にこのようなメールを受けたことで、Fはさらに相当程度の心理的負荷を受けたと評価されました。

3.業務と自殺との因果関係(結論)

  • 以上の過重な業務と不適切な叱責により、Fは遅くとも自殺前日の平成31年4月7日までに心身共に疲労困ぱいした状態に陥ったと認定されました。

 

  • Fにはもともと精神疾患の既往がなく、業務以外に心理的負荷となる事情(私生活上のトラブル等)も存在しませんでした。そのため、Fの業務による心理的負荷は「社会通念上、客観的にみて、自殺を惹起させうる精神障害を発症させる程度に過重であった」と判断され、会社の業務によって精神障害(重症うつ病エピソード)を発病し、自殺に至ったと結論付けられました

なお、被告側は「業務に高度な技術は不要だった」「残業は自己申告通り4時間のみだった」「メールは業務上必要な指導の範囲内だった」と反論して業務起因性を争いましたが、裁判所は、Fが実際に業務を順調に終えられていなかった状況や、メール表現の不適切さなどを理由に、被告側の主張をすべて退けています。

被告らの責任原因の有無について(争点2)

裁判所は、判断の前提として「使用者は、業務に伴う疲労や心理的負荷が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務(安全配慮義務)を負い、使用者に代わって指揮監督を行う者もその内容に従って権限を行使すべきである」という枠組みを示しました。

1.被告会社(責任肯定:安全配慮義務違反・不法行為責任)

客観的な労働時間把握の懈怠:

会社は時間外労働の管理を自己申告に委ねており、客観的な労働時間を把握しようとしませんでした。

 

業務量調整措置の懈怠:

Fの死亡1〜2か月前、上司である被告DはFの業務が順調に進んでいないことや残業が増加していることを認識していたにもかかわらず、業務量を適切に調整する措置を採りませんでした。その結果、Fの心理的負荷が増加し、自殺に至ったとして安全配慮義務違反(不法行為上の過失)が認められました。

 

予見可能性の認定:

会社側は「直前まで精神変調はなく予見できなかった」と反論しました。しかし裁判所は、長時間労働が健康を損なうことは広く知られていること、被告Dが過重労働を認識していたこと、適切な管理体制があれば不適切なメールのやり取りを容易に把握できたこと、周囲もFが勤務中に眠そうにしていると認識していたことなどから、「健康状態悪化の事態を予見できた」として会社の主張を退けました。

2.被告D(グループリーダー・直属の上司)(責任肯定:不法行為責任)

業務量調整義務の違反:

被告Dは、グループリーダー兼人事評価権者としてFを指揮命令し管理監督する立場にありました。それにもかかわらず、Fの業務遂行の遅れや残業増加を認識しながら、業務量等を調整する措置を採りませんでした。

 

不適切な指導(パワハラ):

業務量が増加していた時期に、Fを叱責しその人格を貶める表現(「手抜きにも程があります」「ナマケモノの態度を改めなければ…」等)を含むメールを送信しました。裁判所は、これらの表現を用いることに業務上の必要性はなく、社会的相当性を欠く不適切なものであり、Fの心理的負荷をさらに増加させたとして不法行為責任を肯定しました。

3.被告C(代表取締役)(責任否定:使用者責任・会社法429条責任ともに否定)

使用者責任について:

会社の規模は小さかったものの、現実にFの選任・監督を行っていたのは被告Dらであり、被告C自身が「使用者に代わって事業を監督する者(代理監督者)」であったとは認められないとして、使用者責任を否定しました。

 

会社法429条1項(役員の第三者に対する責任)について:

労働時間を自己申告に委ね、業務遂行の管理をグループリーダーに一任したことについて、適切な労務管理体制を整備すべき代表取締役としての「職務上の義務違反(過失)」があったとは認定されました。しかし、現実にFを監督しておらず過重労働を具体的に把握していた事情もないことから、この過失は故意に準ずるほどの「重大な過失」とまでは言えないとして、責任を否定しました。

4.被告E(上司・海務監督)(責任否定)

  • 被告EはFと共に業務を担当する上司であり、被告Dの指示を受けてFに指導を行うことはありました。しかし、被告Eによる指導が社会的相当性を欠く不適切なものであった(パワハラにあたる)と認める証拠はなく、Fの労働時間管理を行う立場でもなかったとして、安全配慮義務違反や不法行為責任を否定しました。

過失相殺・素因減額について(争点4)

被告側は、Fが深夜までゲームをしており睡眠不足であったこと等の脆弱性を理由に過失相殺を主張しましたが、裁判所は、それらが「同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるもの」とは認められないとして、過失相殺や素因減額の適用を否定しました。