固定残業代制度の有効性や、出張時の業務に事業場外みなし労働時間制の適用が争われた事例
2026年8月13日
弁護士 松田直弘
動画による解説はこちらから
事案の概要
本件は、食料品の卸売・小売等を営む会社(一審被告・控訴審では控訴人)に雇用されていた労働者(一審原告・控訴審では被控訴人)が、令和2年4月1日から令和4年9月30日までの期間における法内残業ならびに労働基準法に基づく時間外および休日労働に対する未払割増賃金、遅延損害金、および同法114条に基づく付加金の支払いを求めた事案です。
争点
本件の主な争点は以下の通りです。
- 1年単位の変形労働時間制の有効性
- 固定残業代(固定時間外手当)の有効性(時間外労働に対する適法な対価といえるか)
- 住宅手当の除外賃金該当性(割増賃金の基礎となる賃金から除外されるか)
- 原告の休憩時間の長さ(会社主張の2時間か、労働者主張の1時間か)
- 休日のイベント出張時における「事業場外みなし労働時間制」の適用の有無
- 未払賃金および付加金請求の可否とその額(控訴審では、会社側による任意支払い後の未払額と付加金の相当性が問われました)
結論
一審(鹿児島地裁):
会社に対し、未払賃金等106万2638円(うち102万3019円に対する遅延損害金を含む)と、付加金97万8019円(および遅延損害金)の支払いを命じました。
控訴審(福岡高裁宮崎支部):
会社が原審判決後に113万4501円を任意に支払ったことを踏まえて再計算が行われ、会社に対し、残額である未払割増賃金元本5405円(および遅延損害金)の支払いのみを命じました。付加金の請求は棄却されました。
1年単位の変形労働時間制の有効性
会社側が採用していた1年単位の変形労働時間制は、法令や就業規則に定められた手続きを満たしておらず、労働基準法第32条の4に反するため「無効」であると判断されました。
裁判所が変形労働時間制を無効と判断した具体的な理由は以下の通りです。
1.法令上の要件と趣旨
1年単位の変形労働時間制において、対象期間を1か月以上の期間で区分する場合、その最初の期間についてのみ労働日・労働時間を特定し、その後の期間については労働日数と総労働時間のみを定めておく方法が認められています。
しかし、その場合には「各期間の初日の30日前までに、事業場の過半数代表の同意を得て、当該期間の労働日及び労働日ごとの労働時間を書面で特定しなければならない」とされています。
裁判所は、労働時間を特定することを求める趣旨は「労働時間の不規則な配分によって労働者の生活に与える影響を小さくする点にある」と指摘しました。そのため、就業規則において勤務割表の作成手続や周知方法などを定め、それに従って各期間の初日の30日前までに具体的に労働時間を定める必要があると示しました。
2.本件における規定と実際の運用
本件の労使協定では、5月以降の各月については「従業員代表の同意を得て、各月の初日の30日前に勤務割表を作成して特定し、作成し次第従業員に配布する」と定められていました。
しかし、実際の会社での運用は以下のようになっていました。
- 4月を除く月については、前月中に従業員各自が勤務カレンダーに希望する公休日を記入するという方法で労働日(休日)を特定していた。
- 会社側が各期間の初日の30日前までに勤務割表を作成して労働日を特定し、従業員に周知する取扱いをしていなかった。
3.裁判所の結論
裁判所は上記の事実関係から、会社は本件変形労働時間制について、自らの就業規則で定めた手続すら徹底しておらず、労働基準法の趣旨に照らしても「労働日が書面により特定されていたと評価することはできない」と判断しました。
その結果、1年単位の変形労働時間制は無効となり、1日8時間・週40時間を超える労働については通常の所定労働時間としては扱われず、時間外労働として割増賃金の支払い義務が生じることになりました。
固定残業代(固定時間外手当)の有効性
1.有効と認められた基本的前提(明確区分性と対価性)
裁判所は、以下の事実関係から、当該手当が時間外労働に対する対価(割増賃金)として支払われていることが明確であると認定しました。
契約等での明記と精算合意:
労働条件通知書や賃金規程において、固定時間外手当が時間外労働の対価であることが明記されていました。また、実際の残業時間が固定時間を上回った場合には、不足分を追加支給する(精算する)旨も規定されていました。
明確な区分:
賃金台帳や給与明細上において、基本給等とは別の独立した項目として金額が記載され、明確に区別されていました。
計算式の合理性:
手当の額が「基準内賃金÷1か月の平均所定労働時間数×1.25×固定残業時間数」という計算式で算出されており、名称や計算方法からしても時間外労働の対価としての性質を有していました。
2.労働者側の主張に対する裁判所の判断
労働者側は、控訴審(高裁)にかけて様々な理由から固定残業代の無効を主張しましたが、裁判所はこれらを以下の理由で全て退けました。
結果として、支払い済みの固定時間外手当は適法な割増賃金の支払いとして認められ、会社側はこの既払額を、未払いの割増賃金(法外残業代など)から差し引く(充当する)ことが認められました。
- 主張①:「基本給の昇給の代わり(年功賃金等の代替)として支払われているに過ぎない」
- 労働者側は、勤続月数に応じて固定残業時間数(手当額)が増加する仕組みであり、かつ自身の基本給が据え置かれていたことから、基本給の昇給分が固定残業代にすり替えられていると主張しました。
- 裁判所の判断: 勤続月数が上がるにつれて仕事の量や質が上がり、想定される残業時間が増加する傾向があることは不合理ではありません。また、賃金規程上、毎年の給与改定は人事評価等によって行われるものであり、必ず昇給するわけではないため、基本給が上がらずに手当だけが増額したことをもって「昇給分が含まれている(=残業代ではない)」と評価することはできないとされました。
- 主張②:「制度について会社から十分な説明を受けていない」
- 裁判所の判断(控訴審): 労働条件通知書や賃金規程等で時間外労働の対価であることが明記されているだけでなく、入社時に固定時間外手当について口頭等での説明を受けていた事実が認められるため、会社が説明を怠ったとはいえないと判断されました。
- 主張③:「想定される固定残業時間と、実際の残業時間に乖離がある(充足率が低い)」
- 労働者側は、実際の残業時間が手当の想定時間に比べて大幅に少ない(充足率が42〜67%程度)ため、対価としての実態がないと主張しました。
- 裁判所の判断(控訴審): 実際の時間外労働時間が想定残業時間数と乖離していたとしても、それをもって直ちに割増賃金として支払われたことを否定する理由にはならないとし、本件の乖離の程度も手当の有効性を否定するほどのものではないと判断されました。
- 主張④:「1年単位の変形労働時間制と矛盾する」「有効な36協定がないため違法である」
- 裁判所の判断: 1年単位の変形労働時間制の下でも時間外労働を命じることは許容されているため、制度として矛盾しません。また、仮に過半数代表者の選出に問題があり有効な36協定が存在しなかったとしても、それは「会社が適法に時間外労働を命じることができない」というだけであり、実際に労働者が時間外労働を行った以上、会社は割増賃金を支払う義務があります。したがって、36協定の不存在によって固定残業代の合意が公序良俗に反し無効になるものではないとされました。
休憩時間について
原告側は、就業規則において「昼食時1時間」に加えて「約1時間ごとに10分を6回」の休憩を取ることが定められており、従業員は各自の裁量でこれを取得していたため、合計1日2時間の休憩があったと主張しました。
裁判所の判断
裁判所は以下の理由から、細切れの10分間を法的な「休憩時間」として認めませんでした。確実な休憩時間は昼食時の1時間のみとして労働時間の計算が行われました。
「労働からの解放」が保障されていない:
法的な休憩時間といえるためには、真に使用者の指揮監督から離脱し、「労働からの解放」が保障されている必要があります。しかし、会社は細切れの休憩についてチーム内で申告させるなどの管理を行っておらず、客観的に当該従業員が休憩中かどうかが分からない状態でした。そのため、突発的な電話対応をしたり作業指示を受けたりする可能性があり、労働から解放されていたとはいえないと判断されました。
トイレ休憩や手待時間との混同:
約1時間ごとの10分間といった短時間の細切れの時間は、本来休憩時間に含めるべきではないトイレ休憩や手待時間(作業を待機している時間)も含まれてしまう可能性が拭えないと指摘されました。
勤怠管理システムが実態を反映しにくい仕様だった:
会社の勤怠管理システムは、出社・退社ボタンを押すと自動的に「2時間」の休憩が差し引かれる仕様になっていました。もし2時間未満の休憩しか取れなかった場合にそれを反映させるには、別途「打刻修正届」を提出する必要があり、日常的に実際の(異なる)休憩時間を入力する仕組みになっていなかったと認定されました。
SNS等の私的利用について:
会社側が証拠として挙げたTwitterへの投稿や私用メールについても、わずかな時間で終わるものであり、これをもって「労働からの解放を保障された休憩が確保されていた」と認めるには足りないと退けられました。
事業場外みなし労働時間制の適用の有無について
1.争点となった業務と法制度の前提
本件で問題となったのは、原告(労働者)が休日に出張して参加した「合同企業説明会」や「インターンシップ」などの就活生向けイベントにおける労働時間です。
労働基準法38条の2第1項では、労働者が事業場外で業務に従事し、かつ「労働時間を算定し難い」場合に、所定労働時間を労働したものとみなす「事業場外みなし労働時間制」を規定しています。
本件では、出張でのイベント業務がこの「労働時間を算定し難い」状態であったかどうかが争われました。
2.当事者の主張
会社側の主張:
出張時の業務遂行や休憩時間の取得は担当者の裁量に任されており、時間管理をする責任者も同行していなかった。イベントの開催時間帯が決まっていても、実際にいつからいつまで業務を行い、いつ休憩をとるのかを会社が把握することは困難であったため、みなし労働時間制が適用される(実際の労働時間の長さにかかわらず、所定労働時間労働したものとみなされる)べきであると主張しました。
労働者側の主張:
業務カレンダーでイベントの開始・終了時刻や開催場所などの予定が社内で詳細に共有されていた。また、会社から支給された社用携帯電話を通じて、予定通りに業務が処理されているか確認したり、具体的な業務内容の指示を与えることも容易であったため、労働者の行動を把握することは可能であり「労働時間を算定し難い」場合には当たらないと主張しました。
3.一審の判断:【適用あり】
一審は、会社側の主張を認め、事業場外みなし労働時間制の適用を肯定しました。
理由:
確かに業務カレンダー等でスケジュールや場所は事前に確定していたものの、実際には会社は支給した社用携帯を通じて電話やメール等で具体的な指示や連絡をしておらず、当日の作業は担当者の裁量に委ねられていたと認定しました。時間管理をする者の同行もなく、出張後の業務内容についての申告等もうかがえない等の事情から、会社が勤務状況を把握することが容易であったとは言い難い(=労働時間を算定し難い)と判断しました。
4.控訴審の判断:【適用なし】
控訴審では労働者側の主張が認められ、事業場外みなし労働時間制の適用が否定されました。
- 理由①:業務内容と時間の事前確定 就活生向けイベントは、イベントの内容や時間帯、場所によって、業務内容や開始・終了時間等があらかじめ具体的に確定されていたと認定しました。
- 理由②:労働者の裁量の欠如 イベントの実施や参加自体は会社が決定するものであり、参加者(労働者)は決められた式次第に従って参加し行動すると考えられるため、イベントの開催時間等について労働者に裁量があったとはいえないと指摘しました。
- 理由③:会社による時間管理の可能性 会社は社用携帯を支給しており、業務についての指示を出したり、予定されていた業務内容・時間が実際の状況と異なるかどうかを「確認することも可能であった」と判断しました。
- 結論: これらの要素を総合的に考慮すると、会社が労働時間を把握することが困難であったとは言えず、事業場外みなし労働時間制の適用を認めることは困難である(=実労働時間として計算すべき)と結論付けました。