いじめ重大事態における調査を怠ったとされた裁判例
2026年4月9日
弁護士 松田直弘
いじめ防止対策推進法に定める重大事態に該当するにもかかわらず調査を怠ったとして、慰謝料の請求が認められた裁判例(静岡地裁判決令和7年1月30日判決、)を紹介します。
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事案の概要
本件は、被告(学校法人)が設置・運営する私立小学校において、在籍児童である原告の顔面に、別の児童(訴外児童)の足が直撃する事故(以下「本件事故」という)が発生し、原告は本件事故により永久歯の破折等の傷害を負い、その後、不信感から転校するに至りました。
原告は、本件事故後の状況が「いじめ防止対策推進法」(以下「推進法」)28条1項1号および2号に定める「重大事態」に該当したにもかかわらず、被告が同項所定の調査(以下「28条調査」)を行わなかったことにより、法律上保護された利益が侵害され、精神的苦痛を被ったと主張し、民法709条に基づき慰謝料等の支払いを求めました。
いじめ防止対策推進法における「いじめ」とは
いじめ防止対策推進法2条1項:
「いじめ」とは、
児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう
と定義されています。
いじめ防止対策推進法における「重大事態」とは
いじめ防止対策推進法28条1項に定義があります。
一 いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき。
二 いじめにより当該学校に在籍する児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑いがあると認めるとき。
例示
文部科学省作成の令和6年8月改訂版「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」においては、次のようなケースが過去に各教育委員会等で重大事態として扱われた事例として紹介されています。
ただし、
「下記は例示であり、ここに掲載されていないものやこれらを下回る程度の被害であるもの、診断書や警察への被害届の提出がない場合であっても、総合的に判断し重大事態と捉える場合があることに留意する。」
とされています。
① 児童生徒が自殺を企図した場合
○ 軽傷で済んだものの、自殺を企図した。
② 心身に重大な被害を負った場合
○ リストカットなどの自傷行為を行った。
○ 暴行を受け、骨折した。
○ 投げ飛ばされ脳震盪となった。
○ 殴られて歯が折れた。
○ カッターで刺されそうになったが、咄嗟にバッグを盾にしたため刺されなかった。※
○ 心的外傷後ストレス障害と診断された。
○ 嘔吐や腹痛などの心因性の身体反応が続く。
○ 多くの生徒の前でズボンと下着を脱がされ裸にされた。※
○ わいせつな画像や顔写真を加工した画像をインターネット上で拡散された。※
③ 金品等に重大な被害を被った場合
○ 複数の生徒から金銭を強要され、総額1万円を渡した。
○ スマートフォンを水に浸けられ壊された。
④ いじめにより転学等を余儀なくされた場合
○ 欠席が続き(重大事態の目安である30日には達していない)当該学校へは復帰ができないと判断し、転学(退学等も含む)した。
※の事例については、通常このようないじめの行為があれば、児童生徒が心身又は財産に重大な被害が生じると考え、いじめの重大事態として捉えた。
「重大事態」に該当した場合:
いじめ防止対策推進法28条1項により、
学校の設置者又はその設置する学校は、次に掲げる場合には、その事態(以下「重大事態」という。)に対処し、及び当該重大事態と同種の事態の発生の防止に資するため、速やかに、当該学校の設置者又はその設置する学校の下に組織を設け、質問票の使用その他の適切な方法により当該重大事態に係る事実関係を明確にするための調査を行うものとする
とされています。
本件事件の争点
1.被害児童が28条調査を受ける利益は「法律上保護された利益」に当たるか。
2.本件事故後の状況が、推進法上の「重大事態」に該当するか。
3.被告が行った聞き取り等の対応が、28条調査としての義務を果たしたものといえるか。
判断の概要
1.法律上保護される利益:
28条調査は、学校内の秩序維持などの公益のみならず、いじめを受けた疑いがある児童の個別的利益をも保護する趣旨を含んでおり、被害児童等が28条調査により受ける利益は、個別的利益として法律上保護されると判断しました。
2.「重大事態」該当性
裁判所は、以下の事実から、本件事故が客観的に「いじめ」に該当するか否かの確定を待つまでもなく、「いじめにより重大な被害が生じた疑い」が認められるため、1号重大事態に該当すると結論付けました。
児童間の人的関係と物理的行為:
原告と訴外児童は、被告小学校の「本件班活動(縦割り班活動)」において一定の人的関係にありました。その訴外児童が原告に対して行った「物理的な影響を与える行為(足が顔面に直撃したこと)」は、同法上の「いじめ」の疑いを生じさせるものであるとされました。
被害児童による直後の申告:
原告自身が、事故直後から教諭や養護教諭に対し、「訴外児童に蹴られた」との申告を行っていた事実が重視されました。
負傷の程度の重大性:
本件事故により、原告が「左下中切歯の歯牙破折・歯牙の打撲」という永久歯の破折を伴う重大な身体的被害を負った事実が考慮されました。
心身の苦痛の蓋然性:
上記のような重大な被害が生じていることから、原告が心身の苦痛を感じていることが容易に疑われる状況であったと判断されました。
3.調査義務の不履行の有無
裁判所は、以下の点から、学校側が実施した聞き取り等は「組織を設けた調査としての実質を備えているとはいえない」と結論付けています。
1.調査対象の限定(背景事情の軽視)
裁判所は、28条調査の目的は単なる事実確認ではなく、同種の事態の再発防止にあると指摘しました。
- 表層的な事実確認: 学校側の調査は、事故当日の事実経過を明らかにすることに終始していました。
- 人間関係の解明不足: いじめの定義には「一定の人的関係」が含まれるため、事故当日の出来事だけでなく、過去から現在にかけて連続する児童同士の人的関係や背景事情を明らかにする必要がありましたが、学校側にはその意図が認められないと判断されました。
2.児童の特性(被暗示性)への配慮不足
児童は大人に比べて、質問の仕方によって記憶が変容しやすい(被暗示性)という特徴があります。
- 客観性の欠如: 学校側には、児童の記憶が汚染されるなどの影響を回避しようとした形跡がありませんでした。
- 組織的共有の欠如: 調査にあたった教職員間で、このような児童の特性や、心理的影響を排除すべきであるという前提が組織的に共有されていませんでした。
3.不適切な聞き取り方法と心理的安全性の欠如
調査の手法が、被害児童の心理的負担を強いるものであったことが厳しく批判されました。
- 強制的な和解: 事故直後に被害児童と加害児童を同席させ、加害児童の説明を受け入れさせて謝罪を受け入れるよう促すという、客観性や心理的安全性を欠く方法で聞き取りが行われました。
- 一方的な説得: 被害児童が「蹴られた」と主張しているにもかかわらず、加害児童の「足が滑った」という弁明を受け入れざるを得ない状況に追い込んだ点は、推進法の定める「適切な方法」とは程遠いとされました。
4.重大事態としての認識不足
学校側がいじめ防止対策推進法上の「重大事態」であるという自覚を持っていなかったことが、不適切な対応の根本原因であると推認されました。
- 不適切な対処: 重大事態としての認識を欠いていたため、同条の趣旨に沿わない表層的な確認と、その場しのぎの(弥縫的な)対処にとどまったと指摘されました。
- 報告義務の懈怠: 推進法31条1項で定められている県知事への報告を怠っていた点も、認識不足を裏付ける事実として挙げられました。
結論
裁判所は、被告が28条調査を実施すべき義務を負っていたにもかかわらず、それを怠った不法行為の成立を認め、被告に対し、原告へ55万円(慰謝料50万円および弁護士費用5万円)ならびに遅延損害金の支払いを命じました。
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