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定期昇給および特別昇給が労働契約の内容や、労使慣行とは認められないとされた事例

2026年9月10日

弁護士 松田直弘

学校法人の教職員が、定期昇給および特別昇給の停止を不当として未払い賃金の支払いを求めたものの、昇給が労働契約の内容や法的効力を持つ労使慣行であったとは認められないと判断された事例((第一審)東京地裁令和5年10月30日判決、(控訴審)東京高裁判決令和6年4月25日)を紹介します。

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事案の概要

本件は、学校法人(以下、「Y法人」)が設置・運営する中学校・高等学校(九段校)に教員として雇用され、教職員組合(以下、「本件組合」)に加入している教員ら(原告・控訴人)が、平成28年度から令和元年度までの定期昇給および特別昇給(永年勤続表彰に伴う昇給)が行われなかったこと(本件昇給停止)に対し、労働契約または労使慣行に基づき、本来支払われるべきであった賃金・賞与と実際に支払われた額との差額(および遅延損害金)の支払いを求めた事案です。

規程の存在とこれまでの実績 

Y法人の給与規程には、定期昇給について「就職の日から1年以上経過した者について、予算の範囲内において毎年4月に行う」と定められており、特別昇給は「勤務成績が特に良好と認められた者その他特に功績があると認められた者について行う」と定められていました。

実際、平成27年度以前の少なくとも35年間にわたり定期昇給が行われ、特別昇給についても勤続10年ごとの節目に永年勤続表彰として1号俸の特別昇給が実施されていました。

 

昇給停止に至る経緯 

しかし、長年の実施実績はあるものの、昇給の実施にあたっては、遅くとも昭和50年以降、本件組合が毎年定期昇給や特別昇給の実施等を要求し、これを受けてY法人が理事会等で予算を検討した上で、団体交渉を経て合意(妥結)のうえ実施してきた経緯がありました。

平成28年1月、本件組合が例年通り昇給を要求したところ、Y法人は九段校が大幅な赤字を続けている財政状況を理由に要求通りの回答を拒否し、平成28年度の定期昇給の停止および特別昇給の廃止を決定しました。

その後、令和元年度まで同様に昇給は実施されませんでした。

争点

本件の主な争点は、以下のとおりです。

  1. 定期昇給を行うことが、労働契約(就業規則・給与規程等)の内容となっているか(労働契約上の義務の有無)
  2. 定期昇給及び特別昇給を行うとの「労使慣行」が存在したか(労使慣行の成立・法的効力の有無)
  3. 原告(控訴人)らの差額賃金請求の当否

結論

第一審

 原告らの請求をいずれも棄却

 

控訴審

 控訴人(教員ら)の控訴をいずれも棄却(第一審判決を支持し、Y法人の昇給義務を認めず)。

争点1:労働契約上の義務について

定期昇給を行うことが労働契約の内容となっているか

1.給与規程の「具体性の欠如」

給与規程(12条、13条)においては、定期昇給を「予算の範囲内において行う」と定めているにすぎません。定期昇給によって「具体的に誰の基本給を何号俸(いくら)上げるのか」という具体的な昇給基準や実施内容は、規程そのものには一切書き込まれておらず、規程の文言のみから自動的に具体的な昇給請求権が発生するとは言えないと解釈されました。

2. 35年間の継続実績に対する法的評価

35年間という長期にわたり定期昇給が毎年実施されてきた事実は認められました。 しかし、その実施プロセスを詳細に検証すると、単に自動的に処理されていたわけではなく、「毎年、本件組合が要求書を提出し、それに対してY法人が財政状況から予算措置を検討し、団体交渉を経て合意(妥結)のうえ、妥結協約書を作成して実施する」というプロセスを厳格に踏んでいました。

3.「例年行われていただけの疑い(単なる交渉結果)」

裁判所は、上記のプロセスが存在する以上、35年間の継続実績は「自動的な契約義務」に基づくものではなく、「年度ごとの労使交渉の結果、例年行われていただけのことである疑いが十分に認められる」と評価しました。

つまり、昇給は「自律的な労働契約上の確定した権利」ではなく、「毎年、その都度の合意(妥結)を前提として初めて具体化する交渉事項」にすぎなかったため、合意に至らなかった(妥結しなかった)平成28年度以降について、当然に昇給を請求できる法的権利は原告らに発生しないと結論づけられました。

争点2:労使慣行の成立・法的効力の有無

定期昇給および特別昇給を行うとの「労使慣行」が存在したか

1.労使慣行の成立要件(法的効力を持つための基準)

日本の労働法実務において、就業規則などの明文化された規程がない、あるいは規程が曖昧であっても、長年繰り返されてきた取扱いが「契約内容」として法的拘束力を持つ(=労使慣行が成立する)ためには、民法92条に基づき以下の3つの要件をすべて満たす必要があるとされています。

  • 長期間の反復継続:同種の行為や事実が、一定の範囲で長期間にわたって繰り返し行われていること。
  • 明示的な排除がないこと:労使双方が、その取扱いに従うことを明示的に拒否・排除していないこと。
  • 労使双方の「規範意識」:その取扱いに従うことが、労使双方において「法的に拘束される義務・権利である(やって当然、守るべきルールである)」という共通の認識(規範意識)に支えられていること。

本件では、35年以上にわたる昇給の実績があるため要件①と②はある程度満たし得るものの、要件③の「規範意識」が存在したかが大きな争点となりました。

2.裁判所の判断

裁判所は、原告らの主張を退け、「定期昇給および特別昇給を行うとの労使慣行(規範意識)の成立を否定」しました。

① 学校法人側の「不実施への言及」と「ルールの模索」

裁判所は、学校法人側が過去に昇給を当然の義務とは捉えておらず、財政や経営判断に応じて変更・修正しようと試みていた事実を認定しました。

  • 昇給停止・制限の提案: 過去に学園側から、30年永年勤続者の特別昇給中止の通達(平成6年度、組合の抗議で撤回)や、定年5年前での定期昇給停止(平成11年度、組合の反対で撤回)、年齢制限(平成13年度に満61歳以上の昇給制限が妥結)などが実際に提案されていた。
  • 次年度以降の不実施示唆: 平成25年度には、学園側から「次年度以降は定期昇給を実施できないことを否定できない」との回答が事前になされていた。
  • これらの行動から、学園側が「無条件に毎年昇給を行うべき」という規範意識を持っていたとは認められないとされました。

組合側も「当然の権利」とは認識していなかった

裁判所は、組合自身の行動や過去の文書からも、「当然にもらえる権利」という認識(規範意識)は認められないと指摘しました。

  • 毎年の「要求」という矛盾: 組合は毎年、要求書において定期昇給および特別昇給を求めていた。原告らは「便宜的に記載していただけ」と主張したが、裁判所は「もし団体交渉を経ずとも当然に昇給される権利なら、わざわざ毎年要求事項として挙げる必要はない。要求していること自体、当然には行われない(交渉次第である)と認識していた証拠である」と判断しました。
  • 「組合の成果」という自負: 過去に特別昇給の中止に抗議した際の組合の文書には、「特別昇給の実施は、すべて組合の長年の活動(交渉)によるものである」という趣旨の記載があった。これは、組合自身が昇給を「当然の慣行」ではなく「自分たちの交渉努力によって勝ち取ってきた成果」と位置づけていたことを示しており、自動的に発生する権利という規範意識とは矛盾すると評価されました。

「4月先行支給」に対する反論

原告らは「交渉が妥結する前の4月から昇給後の給与が支払われていたため、交渉は関係ない」と主張しました。

しかし裁判所は、本来は交渉妥結後に4月に遡って差額を支払う形(遡及適用)をとっていたが、事務負担を軽減するため、「予算的に実施可能で、合意が見込める場合は、その点だけ先行して4月から実施することにした」という個別事情(事務上の便宜)にすぎないとし、当然の権利として支払われていたわけではないと一蹴しました。