大学職員の精神障害発病後の自殺について業務起因性を否定した事例
2026年7月6日
弁護士 松田直弘
精神障害を患い自殺に至った事案に関し、労働時間や昇進に伴う心理的負荷を分析した結果、業務起因性が否定された事例(大阪地裁判決令和5年3月23日)を紹介します。
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事案の概要
学校法人B大学の事務職員として雇用されていた亡Aが、部署異動の約6か月後に課長補佐に昇進し、その約3か月後に大学の学舎10階から投身自殺した事案です。
争点
本件の最大の争点は、Aの自殺の原因となった精神障害の業務起因性の有無です。 これに関連して、以下の点が主な争点となりました。
1.発病した精神障害の種類と発病時期:
原告は自殺直前に「うつ病」を発病したと主張し、被告は自殺の約1か月前に「適応障害」を発症したと主張しました。
2.労働時間の長さ:
原告は極度の長時間労働(発病前1か月に160時間超)があったと主張し、被告は極度・恒常的な長時間労働を否定しました。
3.各出来事による心理的負荷の強度:
課長補佐への昇進、ホームカミングデーの主担当への就任、連日勤務、国内・海外出張、海外出張中の上司(幹事長)からの叱責といった出来事の心理的負荷が評価の対象となりました。
結論
第一審判決
原告の請求を一部認容し、被告Aに対して88万円、被告Bと被告Cに対してそれぞれ11万円の支払いを命じました(被告Aへの謝罪広告請求は棄却)。
控訴審判決
被告らの控訴を棄却しました。
その上で、原告の附帯控訴に基づき、被告Aへの損害賠償額を110万円(慰謝料100万円、弁護士費用10万円)に増額しました。
また、控訴審での追加請求についても不法行為の成立を認め、被告Bに対してさらに11万円の支払いを命じました(リツイートの削除請求は棄却)。
業務起因性の判断について
1.うつ病の発病を否定し、適応障害と認定したこと
原告は、亡Aが自殺直前に「うつ病」を発病していたと主張しましたが、裁判所はこれを退け、自殺の約1か月前(平成27年6月上旬頃)に「適応障害」を発病したと認定しました。
事実関係と判断:
原告はうつ病発病の根拠として、海外出張中に上司(F幹事長)から叱責されたこと、帰国後に「来年は仕事がない」と発言したこと、SNSの投稿が減ったこと、後輩の母の通夜を欠席したことなどのエピソードを挙げました。
しかし裁判所は、亡Aが海外出張中にその様子をSNSに投稿し、帰国後も同僚に「楽しかった」と話していたこと、自殺に至るまで就労を継続していたことなどを指摘しました。
結論:
これらの事実から、うつ病の診断基準に必要とされる「抑うつ気分などの症状がほとんど1日中、毎日持続する」という連続性が十分に認められないとして、うつ病の発病を否定しました。
2.極度の長時間労働の否定(厳格な労働時間の認定)
原告は、発病前1か月に160時間を超える極度の長時間労働があったと主張しましたが、裁判所が詳細に労働時間を認定した結果、適応障害発症前1か月の時間外労働時間は82時間26分にとどまり、極度あるいは恒常的な長時間労働は否定されました。
- 事実関係と判断:
早出出勤:
亡Aは所定始業時刻(午前9時)より前に出勤していましたが、大学からの指示はなかったため、原則として午前9時を始業時刻と認定しました。
出張の移動・懇親会:
直行直帰の移動時間は指揮命令下にないとして労働時間から除外しました。また、会議後の懇親会も任意参加であり、大学が費用を負担したとしても福利厚生の一環に過ぎないとして、労働時間には含めませんでした。
海外出張:
出張中のタイ国等支部総会や現地と日本の往復移動時間は労働時間としましたが、観光ツアーやマッサージ、土産物の購入などの時間は指揮命令下にないとして労働時間から除外しました。
3.各出来事による心理的負荷をすべて「弱」と評価したこと
亡Aの適応障害発病前6か月に生じた業務上の出来事について、裁判所はいずれも心理的負荷の強度は「弱」であると判断しました。
課長補佐への昇進:
昇進による業務内容や量の大きな変化はなく、経験と著しく乖離した責任が課された事実も認められませんでした。
ホームカミングデーの主担当への就任:
亡Aにとって初めての担当でしたが、前年と内容が大きく変わらず、前任者(同僚J)の補助を受けていたことから、業務の困難性や能力とのギャップは否定されました。準備が例年より遅れてはいましたが、開催まで約3か月の余裕がありました。
12日間の連続勤務:
亡Aは週休1日制であり、休日出勤が1日あったため12連勤になったに過ぎず、休日出勤の労働時間も4時間強にとどまり、深夜に及ぶ勤務もありませんでした。
4.個体側要因の強さと、発病後の著しい悪化の否定
個体側要因の関与:
亡Aは過去(平成19年と平成24年)にも、上司の交替など職場環境の変化に適応できず、精神的変調を来して適応障害と診断された経歴がありました。
また、「人に弱みを見せられない」等の性格傾向があり、今回の発病には個体側要因(性格傾向や社会適応状況等)の脆弱性が強く関与していると判断されました。
悪化と特別な出来事の否定:
適応障害発病後から自殺までの間、亡Aは精神科を受診せず勤務を継続しており、職場で著しい変化は観察されていませんでした。
また、発病後の海外出張についても、F幹事長とは別室で終始行動を共にしたわけではなく、F幹事長からの叱責も人格を否定するようなものであったという証拠はありませんでした。
したがって、心理的負荷が極度となる「特別な出来事」はなく、適応障害が自然経過を超えて著しく悪化したとも認められませんでした。
結論