業務委託契約への変更過程において競業避止義務が無効とされた事例
2026年6月4日
弁護士 松田直弘
美容師と労働契約を結んでいた会社が、業務委託契約への変更過程において競業避止義務を追加したところ、これが無効とされた裁判例(東京地裁判決令和5年6月15日判決)を紹介します。
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事案の概要
- 原告(美容室を経営する株式会社)と被告(美容師)は、平成22年4月に雇用契約を締結していましたが、この雇用契約には競業避止義務に関する定めはありませんでした。
- その後、令和元年10月3日に両者は新たに業務委託契約(所属アーティスト契約)を締結し、これに伴い従前の雇用契約は終了しました。
- この新たな業務委託契約には、契約期間中及び契約終了後2年間、原告の本社等から半径5キロメートル以内で同業他社へ就職すること等を禁じる競業避止義務(本件約定)と、違反した場合に300万円の違約金を支払う旨の約定が設けられていました。
- 令和2年12月31日をもって同契約が合意により終了した後、被告が原告本社から半径5キロメートル以内の別店舗で美容師として稼働したため、原告が本件約定違反を主張して違約金の支払いを求め提訴しました。
争点
本件の主たる争点は、
新たに設けられた競業避止義務の定め(本件約定)が公序良俗に違反し無効となるか否か(本件約定の有効性)です。
結論
競業避止義務の内容
1. 期間の基準
契約期間中だけでなく、契約終了後2年間という期間にわたって同業他社への就職や開業が禁じられていました。
2. 場所の基準
原告の本社および営業所の所在地から半径5キロメートル以内という範囲が設定されていました。 具体的には、本件店舗の所在地である恵比寿駅近郊にとどまらず、渋谷駅近郊や、原宿、新宿、南青山といった美容室が多く集まる主要エリアの一部までもが、この「半径5キロメートル以内」の範囲に含まれていました。
競業避止義務の有効性
裁判所は、雇用契約から業務委託契約への変更(所属アーティスト契約への移行)について、労働者が事実上契約変更を余儀なくされたものであり、実質的な選択の自由がなかったと判断し、その結果として新たに設けられた競業避止義務の定め(本件約定)を無効としました。
裁判所が行った詳しい判断の枠組みと理由は以下の通りです。
1.労働者と使用者の不対等な関係性の考慮
裁判所はまず、雇用契約においては使用者と労働者の地位が必ずしも対等ではないという一般論に言及しました。その上で、被告が9年以上継続して雇用されていた事実を踏まえ、単に新しい義務に対する代替措置があるかだけでなく、「従前の雇用契約において労働者であった被告が契約変更を余儀なくされ、不当に競業避止義務を課されることになっていないか否か」という観点から検討すべきであるとの姿勢を示しました。
2.契約変更の実質的な強制(選択肢の欠如)
裁判所は、美容師たちには「従前の雇用契約を維持する」という選択肢が実質的に保障されておらず、事実上、会社が提示する業務委託契約を受け入れるか、退職するかの二択しか用意されていなかったと推認しました。この推認を裏付ける要素として、裁判所は以下の事実を指摘しています。
- 強引な契約手続きと遡及適用: 契約締結日が令和元年10月3日であったにもかかわらず、契約期間の始期はそれ以前の平成31年4月1日とされていました。裁判所は、会社側が労働者の同意前から業務委託契約としての処理を進めており、引き続き働くためには契約締結が必須であって例外を認めないという「有無を言わせない態度」をとっていたことを窺わせる事実だと評価しました。
- 違法状態解消という会社側の不当な目的: 会社が業務委託契約への移行を決断した主たる目的は、従前の雇用関係における「社会保険の未加入」や「時間外労働手当の不支給」といった違法状態を解消することにありました。
- 不十分な検討期間と美容師の大量退職: 説明会から契約の始期までわずか2週間しかなく、十分な検討期間が保障されていませんでした。また、当時勤務していた9名の美容師の中で雇用契約を継続した者は一人もおらず、本件訴訟の尋問が実施されるまでに全員が退職に至っていることも、会社側の強い意向を裏付ける事実として考慮されました。
3.代替措置(メリット)の不十分さ
会社側は、業務委託への変更および競業避止義務を課すことの正当化事由として、手取り額の増加や、個人的に獲得した顧客を独立時に移動できること、機材等の自由な使用などを「代替措置」として主張しました。 しかし裁判所は、実際には手取り額が増えたとは認め難く、美容師にとってのメリットはほとんど感じられなかったと推認しました。その他の措置についても、「従前の雇用契約において当然認められていた取扱いの継続にすぎない」か、「業務委託への移行によって新たに生じた負担に対する一定程度の支援」にとどまるものであり、重い競業避止義務を新たに課すことを正当化するほどの代替措置にはならないと判断して、会社の主張を退けました。
退職後の競業避止義務の基本原則
退職後については、労働者には憲法22条で保障された「職業選択の自由」があるため、退職後に競業避止義務を課すためには、就業規則の規定や、誓約書などの個別の合意(特約)が明確に存在していることが必要です。
しかし、会社が規定や誓約書を設けていたとしても、それが無制限に認められるわけではありません。その制限が合理的範囲を超え、退職労働者の職業選択の自由等を不当に拘束する場合には、公序良俗(民法90条)に反し無効となります。
この点については、業務委託契約であったとしても大きくは変わらないものと考えられます。
退職後の競業避止義務が有効とされるための判断基準
1.企業の守るべき利益の有無
単なる一般的な業務経験ではなく、企業が独自に有する「企業秘密(営業秘密・ノウハウ・顧客情報など)」を保護するといった、会社として法的に守るべき正当な利益があるかどうかが問われます。
2.従業員の地位・職種
会社の核となる事業に関与し、秘密情報にアクセスできる立場にあったかどうかが重要です。具体的には、管理職以上、機密事項を取り扱う者、研究開発職、高度な専門能力者などに限定されます。特別なノウハウを持たない一般社員に対して一律に競業避止を課すことは、有効性が認められにくい傾向にあります。
3.地域的限定(場所的範囲)
「全国どこでも禁止」といった無限定な制限ではなく、かつての営業担当エリアや近隣都道府県など、企業の利益を守るために必要かつ合理的な範囲に地域が限定されているかが考慮されます。
4.禁止行為の範囲
「同業他社への転職を一切禁止する」といった広範なものではなく、制限対象となる職種や業務内容が、企業の不利益を防ぐための必要最小限の範囲に限定されているかが考慮されます。
5.禁止の期間
競業を禁止する期間が長すぎないかが問われます。近時の裁判例の傾向では、「1年間」という期間が有効性を維持するためのひとつのポイントになっており、2年や3年となると「長すぎて無効」と判断されるリスクが高まります。
6.代償措置の有無
職業選択の自由を制限する代償として、労働者に何らかの金銭的補償が与えられているかが極めて重視されます。例えば、在職中に「守秘義務手当・機密保持手当」が支払われていたか、あるいは退職時に退職金が割り増し(特別加算金)して支払われているか、といった点です。十分な代償措置がないまま広範な制限を課すと、無効と判断されやすくなります。