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契約交渉の不当破棄と損害賠償の範囲についての事例

2026年6月11日

弁護士 松田直弘

契約締結交渉段階で離脱した相手方に対して,契約準備段階における信義則上の義務違反(契約締結上の過失)による損害賠償を求めたところ,地裁と高裁で判断が分かれた事例(横浜地裁判決令和4年11月9日判決、(控訴審)東京高裁令和5年9月6日判決)を紹介します。

動画による解説はこちら

事案の概要

本件は、原告(リース会社)が市からLED街路灯に関する公共事業を受注したことに端を発します。

原告は、被告Y1(サプライヤー・電気工事業者)との間で照明機器の設置工事および保守管理に関する契約が成立していたにもかかわらず、そうでなくとも契約締結が間近であったにもかかわらず,被告Y1が一方的に事業から離脱したと主張しました。

これに基づき、原告は被告Y1に対して「債務不履行」または「契約準備段階における信義則上の義務違反(不法行為)」による損害賠償を求めるとともに、被告Y1の親会社である被告Y2に対しても不法行為に基づく損害賠償を求めました。

争点

本件の主たる争点は、以下の通りです。

  • 原告と被告Y1との間で契約が成立していたか否か。
  • 被告Y1に契約準備段階における信義則上の義務違反(不法行為)があったか否か。
  • 被告Y2に原告に対する不法行為が成立するか否か(※第一審のみの争点)。
  • 因果関係、損害の有無およびその額。特に控訴審では、損害賠償の範囲が契約成立を前提とした「履行利益」となるか、契約成立を信じたことによる「信頼利益」に限られるかが重要な争点となりました。

結論

第一審(横浜地裁): 

原告の請求が一部認容され、被告Y1に対して約5,270万円の損害賠償の支払いが命じられました(被告Y2への請求は棄却)。

 

控訴審(東京高裁):

 被告Y1が控訴した結果、第一審判決の原告勝訴部分が取り消され、原告の請求はすべて棄却されました(原告の逆転敗訴)。

契約は成立していたのか

第一審・控訴審共通:

注文請書の交付などが完了しておらず、原告と被告Y1との間で

契約は成立していないと判断されました。

契約準備段階における信義則上の義務違反(契約締結上の過失)

大きく分けて、被告側の積極的な働きかけによって原告が確かな期待・信頼を抱いたこと、そして被告Y1の離脱に正当な理由が認められなかったことから,契約準備段階における信義則上の義務違反が認められました。

1. 被告側の働きかけと原告の期待・信頼の形成

  • 原告の当初の状況と被告からの打診: 原告はリース会社であり、自らLED街路灯の設置工事や保守管理を実施する能力はなく、代わりとなる業者にも心当たりがなかったため、当初は入札への参加に消極的でした。しかし、市から入札の指名通知を受けた当日に、被告側から「被告Y1を契約相手として入札に参加しないか」との打診があり、過去の同種案件の実績や体制図などが示されました。
  • 見積書の提示と問題ない旨の回答: 被告Y1は原告に対して、交換工事や保守管理業務の金額を記載した見積書を提出しました。また、原告が「元請業者が市外の業者(被告Y1)であっても市の仕様書との関係で問題ないか」と確認したところ、被告Y1は「問題ない」と回答しました。
  • 入札参加と落札による義務の発生: これらの一連の働きかけを受け、原告は被告Y1が見積書で提示した条件で事業を履行してもらえると期待・信頼し、その金額をベースに入札に参加して落札しました。落札した結果、原告は市と契約を結ぶ義務を負い、もし辞退や不履行があれば指名停止などの重い制裁を受ける立場になりました。被告Y1も、原告が自らの見積額をもとに入札することや、落札すればそのような負担を負うことを十分に認識していました。 
2.離脱における「正当な理由」の否定

被告Y1は離脱の正当な理由として、「市の仕様書の解釈が変更され、市外業者である自分たちは元請になれない(コンプライアンス上の問題)」ことや、「地元業者による妨害が予想され、想定内の予算で下請けに依頼できなくなった」ことなどを主張しました。

しかし、裁判所は以下の理由から、これらの主張を正当な理由とは認めませんでした

  • 市の解釈変更について: 継続的な協議の過程で、市から被告Y1が関わること自体を否定されたわけではなく、契約ができなくなったとは認められないと判断されました。
  • 下請け費用の問題等について: 地元業者と金額面で折り合いがつかずに想定外の費用がかかる事態になったとしても、それは見積書を発行する時点で被告Y1が十分に検討しておくべき事柄であったと指摘されました。

損害賠償の範囲

第一審(横浜地裁)の判断:
事業遂行のための代替費用などを損害として幅広く認定

第一審は、原告(リース会社)が被告(サプライヤー)への信頼を基礎として入札に参加して落札し、市に対して事業を実施する義務を負う立場に置かれたことを重視しました。

 

そのため、被告が一方的に離脱した結果、原告が事業を実施するために他の業者に依頼せざるを得なくなったことで増加した費用(代替業者への工事代金等の実費から市から支払われるリース料を差し引いた差額)や、工事遅延に伴って市に支払った遅延損害金、軽減電気料金の負担分などを、被告の不法行為と相当因果関係のある損害として幅広く認めました

 

これは実質的に、契約が成立したとほぼ見込まれる状況にあったとして、契約成立時と同視できるような損害の賠償を認めたものと評価されています。

控訴審(東京高裁)の判断:
賠償範囲を「信頼利益」に限定し、請求をすべて棄却

これに対し控訴審は、第一審が認めた損害賠償を取り消し、原告の請求をすべて棄却しました。

 

控訴審は、契約交渉を不当に破棄したことによる不法行為において賠償義務を負う範囲は、契約の締結を前提とする行動をしたことによって生じた「信頼利益の損害」(契約が有効に成立すると信じたことによって被った損害)に限られると明確に判示しました。

 

当事者間で契約が成立していない以上、契約が締結されていたならば得られたであろう利益である「履行利益」を損害として請求することは認められないと判断しました。

 

その上で、原告が主張した損害(代替業者を使って事業を遂行したことによる負担費用とリース料の差額、遅延損害金など)は、いずれも「信頼利益」には当たらないとして、被告の不法行為との間に相当因果関係は認められないと結論づけました。

契約締結上の過失による損害賠償の範囲は「信頼利益」に限られるとする見解が通説とされています。

 

第一審は契約が成立するとの期待が極めて高かった事案であることを加味して幅広く損害を認めましたが、控訴審は「契約が成立したものと同視できる段階にまで至っていない場合にまで、債務不履行責任と同様に『履行利益』の賠償を認めることは、損害の公平な分担の見地から難点がある」とし、従来の通説に立脚して損害の範囲を厳格に限定しました。